普段は洋書を紹介するブログですが、今回は完全に番外編です。日本語の話題作である『同志少女よ、敵を撃て』を読んでいて、衝撃が大きかったのでどこかに書きたい気分になりました。
本書は独ソ戦で狙撃兵として生きることになった少女セラフィマが辿る運命の物語なのですが、あらすじ等に関しては私が書くまでもなく他の方が紹介されていると思いますので省略します。
*以下の記述には本書の重大なネタバレを含みます。
本書を読んでいて私が強く感じたのは、伏線が襲いかかってくるということです。「伏線が襲いかかる」というのも妙な言い方ではありますが、読んでいる時には伏線に襲われたような気分になったのです。何気ない描写が後から主人公セラフィマの身にも降りかかる運命を暗示しているようでした。以下では、私が伏線に襲われたと感じた箇所から特に印象に残ったものを5つ言及していこうと思います。
①鹿の母親を撃ったセラフィマ、そして彼女自身の母親の死
冒頭(p16あたり)でセラフィマは鹿の母親を狩る。彼女は最初、鹿の子供の存在に気が付かなかった。母鹿を撃つ前に、子鹿を認識したが予定通り母鹿を撃った。彼女の住むイワノフスカヤ村は野生動物の食害に苦しんでいたし、食肉不足を補うためにもそれは必要なことだったからだ。そうした狩猟は日常の一部だったが、セラフィマの平和な日常はその同じ日に終わりを告げる。ドイツ兵が突如侵入してきて村人を次々と殺害し始めたからだ。セラフィマは現場から少し離れたところに母親と2人でいたが、ドイツの狙撃兵によってセラフィマの母親だけが遠距離から撃たれてしまう。母と子でいるところに母親だけが殺されるという点が共通している。もっとも、最初に(鹿の)母親を撃ったのはセラフィマであったが、次に撃たれたのはセラフィマの母親であった。
②数字として処理される死を厭うセラフィマ、そして死を誇るべきスコアとして捉える彼女
初めての実戦で同期で天才だったアヤは死んでしまう。セラフィマにとっては大切な仲間だったが、彼女の死とその人生は戦争の中では数え切れないほどの死者の中の1つの数でしかない。(p180あたり)それは虚しいことだった。大勢の死者の1人であっても、個人は単なる数字などではなくそれぞれの物語を持った人間だからだ。それは味方だけではなく、敵にも同じことが言えた。殺した敵兵も無機質な数字などではなく、1人の人間だということに思い至ったセラフィマは急に恐ろしくなる。ここでは死を単なる数字として捉えない彼女の心情が読み取れる。しかし狙撃兵として成果を上げていくうちにセラフィマは自分の殺した数をスコアとして誇るようになっていく。敵を撃つことは無意識のうちに一種のゲームのようになっており、『スコア』を自慢した彼女は仲間たちに軽蔑される。(p266あたり)仲間に殴られてようやく、セラフィマは自らの振る舞いに気が付いて目を覚ます。これは伏線とは違うかもしれないが、数字として処理される死への抵抗、そしてそれを嬉々として受け入れるようになったセラフィマの様子の対比が印象的である。
③アヤの死と、死ななかったセラフィマ
訓練学校での同期アヤは初の実戦で命を落とした。同期の中で誰よりも天才だった彼女の死は戦いの興奮の中で基本を忘れたことによってもたらされたものだった。(p177あたり)一か所に留まって目立つ射撃を繰り返したことで反撃を喰らって肉塊となり果てた。そして別の戦いではセラフィマがアヤと同じ轍を踏みかける。セラフィマもまた興奮するなかで我を忘れて一か所に留まって目立つ射撃を繰り返してしまう。上官イリーナに強引に引っ張られたことでセラフィマは敵からの反撃での死を免れたが、弾丸は頬を掠めていた。1センチずれていればセラフィマはとっくに命を落としていたのだった。
④子供を狙うドイツ兵と敵を的として使うセラフィマ
ドイツ兵は潜伏するソ連狙撃兵をおびき寄せるために、非戦闘員の子供を囮として撃った。(p248あたり)そのことを理解したセラフィマは、敵を鬼畜にも劣る存在とみなして殺意を漲らせた。しかしその少し後にはセラフィマは敵と同じ思考回路で行動するようになる。急所を外して敵を撃つことで、それを助けにきた敵を撃つこともできるということに気付き、笑いながらそれを実行した。そんなセラフィマはドイツ兵からは薄気味悪い手を使う狙撃兵として認識されることになる。彼女は鬼畜にも劣ると考えていた行動を無意識のうちになぞっていたのであった。
⑤セラフィマがユリアンに見出した幼さ、他者が彼女に見出した幼さ
作戦で行動を共にしていた少年の狙撃兵ユリアンは、銃を手にすると歴戦の兵士のようであったが、仲間たちには時に少年らしい一面を見せることもあった。セラフィマはそのギャップを不思議に思っており、実際にそのことを口にも出していた。しかし、彼女の口からそれを聞いたマクシム隊長は口には出さなかったもののショックを受けてしまう。(p241あたり)というのも、彼はセラフィマら狙撃兵たちに全く同様の思いを抱いていたからだ。普段は純朴な少女のような彼女たちは銃を手にすると異様に目を輝かせる。結局のところ幼い狙撃兵に抱いたのと同様の思いをセラフィマは他者から抱かれていたのだった。
以上、5つのポイントを印象に残った「襲いかかる伏線」として列挙してみました。本作を読んでいない方にとってはなんの話だかピンとこないとは思いますが、読まれた方であればきっと納得していただけるはずです。
本作は英語のブログでありながら記事を長々と書いてしまうほどに衝撃的でした。年末年始なので、読んでいない方はぜひこの機会に読んでみてはいかがでしょうか? きっと読後、誰かにその衝撃を語りたくなることでしょう。
〈追記〉私はロシア語を多少勉強していた関係で、本作に登場するロシア民謡のカチューシャの歌詞を全部覚えていました。もしカチューシャのメロディを知っていれば、読みながらその旋律が脳裏をよぎることでしょう。
〈追記2〉日本語の本についての記事はこちらでも書いています。興味があればぜひ↓
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